こちらは『エアロスターM』を紹介で、1993年上期(平成5)〜1996年下期(平成8)までに投入された車両を紹介です。

◎更新内容◎
2024.3.5…MP217(よ17) 1996年下期をアップです。

2023.9.10…MP617(ま5) 1996年上期
2023.8.10…MP218(お0110) 1993年上期

1993年上期  1993年下期  1994年上期  1994年下期  1996年上期  1996年下期

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2024.3.5 Tweet
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よ17 三菱KC-MP217M改 MBM エアロスターM 横浜営業所本郷車庫 1996年9月投入のKC-MP217M改(よ17)です。
横浜営業所のエアロスターMで、M型では最終増備のグループです。翌年からモデルチェンジされたMP317/717へと移行しました。
神奈中のMP217は1996年のみの導入で少数派でしたが、同じエアロスターMでもMP218とは異なる6D24型エンジンを搭載しました。
横浜は上期に2台、下期に4台が導入され、その後の転出もあり「よ17・よ34」のみが残りました。2009年5月に引退しています。撮影 犬山いずみ様









1993年上期

や85 あ121 い21 U-MP218・KC-MP217系ルーバー
1993年上期のU-MP218M(や85、あ121、い21)です。この代から三菱自工製のエアロスターMと同じボディが架装されるようになりました。ボディ製造メーカーは引き続き新呉羽製になります。M型そのものは三菱自工ボディ製が1984年から製造されていますが、神奈中では初登場となったスタイルです。


や85 や85 や85 や85
や85」です。間02系統で鶴間駅から1中山駅に到着した直後の様子で方向幕動作シーンです。
小03 小田急相模原駅〜麻溝台
市02 市ヶ尾駅〜長津田駅
町80 町田バスセンター〜大和駅西口
町86 町田バスセンター〜瀬谷駅
の4コマになります。本拠地の大和市内から、横浜市内、座間、海老名、相模原、町田市内にまで足を伸ばす大和営ならではの表示です。撮影 綾瀬師匠様

ひ85ひ85 1993年上期のU-MP218M改(ひ85→ひ085)です。10台が投入された前ドアに昇降式ステップを搭載した「新ステップ車」で改造扱いの型式になります。

よ31 1993年上期のU-MP218M(よ31)です。港南台駅での記録で、上32系統の上大岡駅行運用前の様子です。撮影 綾瀬師匠様

さ235 1993年上期のU-MP218M(さ235)です。2000年11月に町田から転入した車です(元ま78)。多摩営業所開設までの準備期間に当たり、相模原の車は一時的に増車されていました。方向幕は町田営業所のものが使用され多摩センターなどの運用に限定されていました。撮影 Ta様

2001.8.3
た59 1993年上期のU-MP218M(た59)です。峡の原や町田からの転入車が殆どの多摩営業所の中では唯一伊勢原からやって来た車です。撮影は多摩営業所開設日です。撮影 綾瀬師匠様

た59 こちらも「た59」です。多摩開設と同時に相模原から移管された桜84系統の聖蹟桜ヶ丘駅行の運用で相模原駅北口での様子です。撮影 綾瀬師匠様

ま154 1993年上期のU-MP218M(ま154)です。2003年3月に多摩から転入した1台です(元や37→い40→た59)。撮影 綾瀬師匠様

や33 1993年上期のU-MP218M改(や33)です。新ステップ試作車の1台です。撮影 綾瀬師匠様

お167・お125 1993年上期のU-MP218M(お125)です。中山駅で並ぶエアロスターM同士で右は同型で1994年上期の「お125」です。横51・横52系統は2001年12月16日に横浜営業所から移管されました。撮影 綾瀬師匠様

2006.6.5
ま0152 1993年上期のU-MP218M(ま0152)です。この新呉羽製のM型ボディも2005年度に一気に廃車が進みました。撮影 運転手K様

2006.6.5
い23 1993年上期のU-MP218M(い23)です。写真のようにLED化改造されずに廃車となった幕式車のグループも幾つか見られましたが、写真の車は側面部分のガラス部がLED化に備えて枠が交換されていました。

2011.1.13
ふ091 1993年上期のU-MP218M(ふ091)です。エアロスターMと呼ばれるこのボディの神奈中車は1993年3月に入ったのが最初で、相模ナンバーでは写真の車がトップに登録されました。車体メーカーはこの代のみが新呉羽製となっています。全体で50台が投入された代です。撮影 Yu131様

2011.1.13
い36 い36」号車です。1999年5月に藤沢から転入しました(元ふ93)。黒地の運賃表示幕は藤沢時代に交換されました。撮影 Yu131様

2011.1.13
よ89 よ89」です。1998年3月に中型エアロミディMK218とのトレードで秦野からやって来た1台です(元は84)。撮影 Yu131様

さ0175さ0176 1993年上期のU-MP218M(さ0175・さ0176)で、アイワールドの全面広告車です。神奈交へ管理委託され峡の原車庫に所属します。撮影 TN様

2011.1.13
さ150 さ150」で、アイワールドの全面広告車として活躍していた頃の様子です。後の改番で「さ0177」になりました。

2011.1.13
よ8 新ステップ試作車のU-MP218M改(よ8)です。2006年8月の廃車後は兵庫県内の自動車教習所へと移籍し、現存しているものの稼動はしていない状態です。撮影 Yu131様

2011.1.13
ひ85 新ステップ試作車の「ひ85」が、相模川に掛かる神川橋を渡る手前のシーンです。平59系統は廃止されており正月の臨時便も平塚駅からは運行されていません。撮影 Yu131様

2011.1.13
ひ085ひ085ひ085ひ085 ひ085」のリア、車内および運転席です。

2011.1.13
あ31 新ステップ試作車の「あ31」で、2001年7月に綾瀬から転入しました(元せ114)。厚31系統の六堂辻線は廃止された路線です。撮影 Yu131様

2011.1.13
あ060 こちらも新ステップ試作車の「あ060」です。新ステップ仕様のM型ボディは改造扱いだったため1996年下期まで全て型式に「改」が付いていました。また、M型の新ステップ試作車は10台が在籍しました。

2011.1.13
よ136 横浜駅西口で発車待ちの「よ136」です。62系統の千丸台団地線は横浜営業所の笹下車庫の担当でした。撮影 菅井隆行様

2011.1.13
さ237 さ237」です。多摩営業所開設に向けての準備に伴い2000年11月に町田から転入した車です(元ま118)。転入直後のためまだ多摩ナンバーのままです。237という過去でも最も大きな社番数字だったので懐かしいですが、今後この237という数字を追い抜くような事も無さそうでしょうか。後の「た58」号車です。撮影 菅井隆行様

さ237 さ237」です。神奈中史上、乗合社番で最高数字の社番を誇っていた車ですが、多摩営業所が2001年7月に新設された際に多摩所属となり、この最も大きい社番数字も消滅しています。僅か8ヶ月程の出来事でした。撮影 綾瀬師匠様

2011.1.13
ま96さ236 左は「ま96」で町田〜橋本駅線運用時の様子。右はその車が2000年11月に相模原へ転属した直後の様子で「さ236」です。相模原時代も町田営業所の方向幕を搭載したまま多摩営業所が新設されるまでの約8ヶ月間、多摩地区の路線で活躍しました。後の「た57」号車です。撮影 菅井隆行様

2022.10.16
つ43 U-MP218M改 エアロスターM 橋01三ヶ木発橋本駅南口行 新呉羽 1993年3月投入のU-MP218M改(つ43)です。
それまでのエアロスターKに代わり、神奈中では初となったエアロスターMで上期に50台が入りボディは新呉羽製です。
写真の車は新製時は町田に入った1台でした(元ま7)。1999年11月に津久井へと転属してきた新ステップ試作車です。写真は橋01系統で橋本駅南口に到着した直後の様子ですが、転入直後の記録でまだ多摩ナンバーのままでした。
2004年10月に津久井神奈交バスへ移籍(T-5)、2008年9月まで在籍し海外へと輸出されています。撮影 Tっち様

2023.8.10
お0110 三菱U-MP218M エアロスターM 新呉羽 横43 戸塚駅東口→井土ヶ谷・関内駅経由→横浜駅東口行 1993年3月投入のU-MP218M(お0110)です。
神奈中のエアロスターMとしては初めてとなったグループで、それまでのエアロスターKから移行、M型は1996年式まで導入されました。
エアロスターMとしては最初で最後となった新呉羽製ボディで、上期は50台が導入されました。
舞岡営業所ではその後の転入もあり10台が在籍、2006年まで活躍しました。
写真の車は「お110」号車として納車され2003年10月から横浜神奈交バスへ管理委託され0付となりました。
神奈中を引退後は中国ジェイアールバスへと移籍しましたがこちらでも2015年までに引退しています。



1993年下期 2006年9月全廃

ち55ち77
1993年下期のU-MP218M(ち55、ち77)です。エアロスターMで、この代から車体メーカーが新呉羽に代わりMBM(三菱自動車バス製造)製となりました。

2003.1.27
お67お67 1993年下期のU-MP218M(お67)です。フォグランプを点灯させる動きはこの舞岡が最も早かったのでしょうか。
写真の車は横浜営業所の方向幕を装備する車で2000年12月頃から舞岡車で見られるようになった仕様です。運賃表も本来の舞岡は三陽電機製ですが交通電業社製を搭載しました。
2000年から徐々に横浜から移管もしくは共管路線となった30・62・69・71・上07・上31・上96・戸03・戸04・中50・中53・横47・横51・横52・横61系統を運用できる車です。
逆にいえば横浜幕ですので舞岡の路線には運用できない仕様でした。神奈中本体車は、通常の舞岡幕とこの横浜幕の2種+どちらにも対応した新舞岡幕(ワンステのごく一部)の3種が存在します。
どちらの運用に偏らないためか舞岡幕と横浜幕の入れ替えも実施されています。
LED搭載の新車も登場しているため、全車がLED化されるまではこのような動きが続くのでしょうか。撮影 綾瀬師匠様

や52 1993年下期のU-MP218M(や52)です。海老名駅東口で待機中の様子で、海06系統のロックラー前経由座間四ッ谷線です。大和担当でも相武台下駅や座間四ッ谷が最西の路線になりますが、最東は横浜駅西口ですので大和の運用範囲の広さが伺えます。撮影 綾瀬師匠様

2005.1.6
や52 や52」です。この代の大和は「や5・や52・や059」の3台が在籍しました。撮影 平社員様

2006.6.5
ひ89 1993年下期のU-MP218M(ひ89)です。平塚ではこの1台が残り、GPSを装備していました。

2007.8.25
ち77ち77 1993年下期のU-MP218M(ち77)で2005年の撮影です。いすゞ車の配置が多い茅ヶ崎ではMBM製ボディを架装したエアロスターMは2台のみの在籍でした。過去には新呉羽製のM型もいましたが、いずれも転出しています。

2011.1.13
あ99あ99 1993年下期のU-MP218M(あ99)です。このグループから車体メーカーがMBM(三菱自動車バス製造)へと代わりました。

2011.1.13
さ173 北里大学〜北里大学病院間を行く「さ173」で、後の「た52→せ123」号車です。撮影 菅井隆行様

2011.1.13
ち55 ち55」で、平塚七夕まつり臨時の平塚駅〜浜見平団地線運用時の様子です。茅ヶ崎のエアロスターMは大変少なく、写真の車と「ち77」のみの在籍でした。撮影 Yu131様

2011.1.13
ひ89 ひ89」です。この代のエアロスターMは1993年9月に全体で20台の投入と少なめの在籍数でした。撮影 Yu131様

2011.1.13
や059 や059」です。湘南神奈交バス時代に管理委託され、藤沢神奈交へ移管後も廃車まで委託されていましたが、鶴間の大型委託車は数少ない存在です。

2021.1.28
お67お67 1993年下期のU-MP218M(お67)です。
2004年4月に横浜神奈交バスへ管理委託され「お067」となり、2006年9月まで在籍した車になります。
写真は2枚共に2001年に記録されたもので、この年に笹下車庫閉鎖に伴う動きとして横浜営業所の方向幕・運賃表(交通電業社)へ換装されたグループです。
2000年から徐々に舞岡への路線移管が始まった30・62・71系統などに運用出来た仕様でした。写真は71系統の芹ヶ谷・南高校循環や、横61系統の笹下町行運用中の姿です。
横浜幕仕様であるため逆に元からの舞岡路線には入れませんでしたが、当時はこの横浜幕・舞岡幕の入れ替えが頻繁に行われていました。撮影 藤島雅哉様

2021.12.23
あ99 U-MP218M エアロスターM 松蓮寺 1993年下期のU-MP218M(あ99)です。
MBMボディのエアロスターMでこの代の厚木は「あ97・あ98・あ99・あ101」の4台が配属されました。
1995年に松蓮寺で記録された1枚で長尺エアロスターKとの並びも懐かしいですが、裏には初代の愛川町循環バス用として使用されていたレインボーRB「あ12」も見え、まだ専用カラーへ塗り替えられる前の姿です。撮影 花屋敷様



1994年上期 津久井神奈交バス最後の1台(T-16)が2010年8月に廃車

あ129 あ129 あ129 あ129 あ129 あ129
1994年上期のU-MP218M改(あ129→あ0129→現T-7)です。この代から本格的に新ステップが装備されるようになりました。

た45 1994年上期のU-MP218M改(ま054)です。2001年7月の多摩営業所開設時に相模原から転入した車です(元さ29)。撮影 綾瀬師匠様

2002.10.27
ま054 1994年上期のU-MP218M改(ま054)です。元大和(や6)のエアロスターMで、町田へ転属前の2002年10月にLED化されました。撮影 綾瀬師匠様

2003.1.27
や1 1994年上期のU-MP218M改(や1)です。2002年からフォグランプを点灯させるバスがかなり増えてきました。日中は点灯しなくても夕方から早めに点灯するケースも多いです。この車は2005年4月に中山操車所に配置されました。撮影 綾瀬師匠様

2003.7.19
お06 1994年上期のU-MP218M改(お06)です。こちらは横浜神奈交バスに管理委託されているエアロスターM型です。舞岡の委託車も60台を越える勢いとなりました。

お046 こちらは「お046」です。2001年7月に横浜神奈交バスへ管理委託されています。東戸塚駅にて203系統運用時の姿です。撮影 綾瀬師匠様

お65 1994年上期のU-MP218M改(お65)です。2001年7月に横浜から転入した1台です(元よ67)。同年9月の撮影で横61系統 横浜駅東口〜笹下町線運用時の様子で、横浜営業所との共管路線です。撮影 Fujishima様

お118 1994年上期のU-MP218M改(お65)です。この代の綾瀬は5台が配属されていました。長12系統の「いすゞ」行表示ですが、三菱ふそうバスによるいすゞ表示が何とも不思議です!? 撮影 綾瀬師匠様

2004.2.27
や22や22・や23 こちらは「や22・や23」です。1994年式で鶴間車庫にて転出待ちの状態です。相模原へと転出しました。撮影 綾瀬師匠様

2004.5.21
あ129 1994年上期のU-MP218M改(あ129→あ0129→現T-7)です。LED表示へ改造された新ステップ車ですが、かなちゅうロゴの表示は2月の改正から表示されなくなったようです・・・。

2004.8.23
つ31 1994年上期のU-MP218M改(つ31)です。2004年8月から津久井もLED表示化改造が始まりました。9月下旬に実施予定のダイヤ改正に備えての動きでしょうか。撮影 あるてっちゃん様

よ39 1994年上期のU-MP218M改(よ39)です。1998年上期に秦野営業所から転入したエアロスターMです(元は19)。撮影 綾瀬師匠様

2005.11.30
よ39 よ39」です。2005年9月にLED化改造が実施されました。撮影 桃太郎301様

2006.6.5
や1 1994年上期のU-MP218M改(や1)です。2005年4月に鶴間から中山へと移動してきた1台で、相模22か4766→横浜200か1724へと変更登録されています。撮影 や72様

2006.6.5
ま051 1994年上期のU-MP218M改(ま051)です。新ステップを装備するこの代も2005年度末から廃車が発生しています。撮影 運転手K様

2006.6.5
た48た48 1994年上期のU-MP218M改(た48)です。この当時で多摩には3台のみが残っていたM型ボディで元相模原車です。
1枚目は淵23系統の淵野辺駅北口行で野津田車庫出発時の様子。2枚目は永65系統の永山駅→多摩センター駅行で豊ヶ丘四丁目出発時の姿です。撮影 運転手K様

た47 1994年上期のU-MP218M改(た47)です。こちらも多摩営業所開設時に相模原から転入したエアロスターMです(元さ84)。豊ヶ丘四丁目での記録になります。撮影 運転手K様

2006.8.3
や1や1 1994年上期のU-MP218M改(や1)です。この当時で中山操車所に在籍する中では最古参車で、唯一のエアロスターMです。撮影 平社員様

2006.8.3
は94 1994年上期のU-MP218M改(は94)です。元町田車で、LED化は2006年5月に実施されました。撮影 武井和紀様

2006.8.3
せ116 1994年上期のU-MP218M改(せ116)です。ドア横幕が「ワンマン 出入口」と表示されている旧仕様の幕です。

2006.11.15
は012リア 1994年上期のU-MP218M改(は012)です。2006年8月に湘南神奈交バスへ管理委託された車で、秦野では意外にも低床車以外のエアロスター委託車はこの車が初めてとなりました。撮影 運天使様

2007.9.15
い12 1994年上期のU-MP218M改(い12)です。2007年2月に引退となった車で、写真は平日朝に見られる伊15系統の市光工業行運用時の姿です。撮影 Yu131様

2011.1.13
い12あ131 1994年上期のU-MP218M改(い12・あ131)です。この代から新ステップが本格採用されました。

2011.1.13
せ117 せ117」です。この代は全体で59台とエアロスターMでは最も在籍数が多いグループでした。

2011.1.13
つ31 つ31」で、1999年11月に町田から転入した車です(元ま168)。撮影 あるてっちゃん様

2011.1.13
は12は33 は12」の秦54系統は2003年に廃止された高砂車庫発の路線でした。
は33」は富士山をバックに金目川沿いを走るシーンです。撮影 Yu131様

2011.1.13
あ88 あ88」です。夜行高速車(P-MS729S)のタイヤを履いていた時期があり異彩を放っていました。撮影 Yu131様

2020.10.29
と15 1994年上期のU-MP218M改(と15)です。
試作を経た昇降式の「新ステップ」が本格採用となったグループで、上期の戸塚は7台が導入されました。
写真は1998年の長後駅東口での記録で戸62系統の戸塚バスセンター〜長後駅東口線運用時の姿になります。
土地区画整理事業が進んだ現在の東口とはだいぶ雰囲気も異なり大型バスの転換もしづらい状況でしたが懐かしい光景です。撮影 菅井隆行様

2022.3.6
い68 U-MP218M改 エアロスターM 伊06東海大学病院行 エアロスターMい68 U-MP218M改 エアロスターM 伊06東海大学病院行 リア MBM 1994年3月投入のU-MP218M改(い68)です。
この年上期の伊勢原車は4台が在籍、元々は2台のみでしたが2004年2月に2台が転入しました。写真はその転入車で町田からの車になります(元ま127)。2005年12月にLED化改造が実施されました。
伊勢原の中乗り方式の実施は最も早く2006年3月27日から実施されていますが、まだLED表示に「中乗り」表記が無かった初期の頃の記録です。撮影 it様



1994年下期 2007年8月全廃

と131と131い85 1994年下期のU-MP218M改(と131→YK1105、い85)です。側面窓枠の支持方式が変わったのか黒いフチがなくなったのが分かります。屋根上にあるラインクロスファン(四角い箱)の位置も変わりました。U-MP系ではこの代が最後の増備となりました。

よ68 1994年下期のU-MP218M改(よ68)です。99年に横浜駅西口で撮影された1枚で横52系統の中山駅行到着シーンです。撮影 綾瀬師匠様

お124 1994年下期のU-MP218M改(お124)です。横浜駅西口にて、戸塚駅から到着した横46系統の姿です。撮影 綾瀬師匠様

あ76 厚98 本厚木駅〜二大縄経由〜海老名駅 1994年下期のU-MP218M改(あ76)です。本厚木駅前で待機中の様子で、厚98 二大縄経由の海老名駅行です。この路線は片道の海老名駅行のみが設定されています。撮影 綾瀬師匠様

2004.2.8
ふ69 ふ69 ふ69 ふ69 ふ69 ふ69
1994年下期のU-MP218M改(ふ69→ふ069)です。U-代の最終増備に当たる代で50台以上が投入された新ステップ装備車です。

2004.3.10
や77 1994年下期のU-MP218M改(や77→さ0186)です。神奈中では最終代のU-MP系ですが大和車は2台とも相模原へ転属しLED化されました。撮影 平社員様

2004.8.23
あ076 1994年下期のU-MP218M改(あ076)です。相模神奈交バスへ管理委託されているエアロスターで、撮影時はちょうど教習中でした。

2004.11.23
さ0169 1994年下期のU-MP218M改(さ0169)です。2004年6月に多摩から転属してきた車ですが、元々は新製時から2001年までの間も相模原に在籍していました。運賃幕交換車です。

2006.6.5
ま13 1994年下期のU-MP218M改(ま13)です。この代は2007年5月から本格廃車が進み、同年8月で全廃となりました。撮影 運転手K様

2006.6.5
ふ066 1994年下期のU-MP218M改(ふ066)です。藤沢は4台が在籍する代で、この年の3月までにはLED化が完了しています。

2007.2.22
あ094 1994年下期のU-MP218M改(あ094)です。この時点では神奈中車は現役でしたが、横浜神奈交車では既に廃車が発生していました。撮影 平社員様

U-MP218M改 1994年下期のU-MP218M改(よ78)です。1996年にTBS系のテレビドラマ「若葉のころ」に出演したバスです(KinKi Kids主演)。
写真は待機中で緊張気味!?のエアロスターMPです。出演に際し前後・側面ともドラマ専用の表示幕が用意され「嘉野中」バスとして活躍しました。テレビに映る時間はほんの僅かであっても、ここまで凝っているとは凄いです。撮影 酔っ払い様

ま057ま057側面幕(永66がチラッと) 1994年下期のU-MP218M改(ま057)です。運用離脱となった2007年5月から廃車までの約10日ほどは貸切専用に変わり、LED機器を撤去した上で幕式の「神奈川中央交通」表示部のみが切り取り貼付けられていました。2002年までは幕式だっただけに違和感はないです。

2007.11.9
ふ051ふ051・ふ044 1994年下期のU-MP218M改(元ふ051・ふ044)です。2007年8月に廃車となった車ですが、舞岡へ移され構内専用の教習車として残されています。今後も長期に渡り見られるか気になるところです。撮影 快特 弘明寺様

2009.9.7
よ80 1994年下期のU-MP218M改(よ80)で、納車から1年経った頃の撮影です。横浜には7台が投入された代です。写真の車は2001年12月に舞岡へ移りました。撮影 花屋敷様

2011.1.13
よ21 1994年下期のU-MP218M改(よ21)です。この代がMP218系列最後のグループとなりました。撮影 Yu131様

2011.1.13
よ120 美しくイルミネーションされた港南台駅で待機している「よ120」です。フォグランプの輝きもいいです。撮影 Yu131様

2011.1.13
と102 と102」です。この代は上期に続く数の58台が9月に投入されました。撮影 Yu131様

2011.1.13
ふ066 ふ066」です。晩年はDPFが装着されていましたが、これがかなり独特の音を放っていたのが印象的でした。撮影 表会長様

2011.1.13
い85い85 い85」です。M型のリアウィンドーは中央にピラーが入っていたため、ワイドビューレンズは写真のようにニ分割して中央に貼られる車もあれば、ピラーを避けて貼られる車も見られました。

2011.1.13
あ89 あ89」です。厚木のこの代は後年に全車が相模神奈交バスへ管理委託されました。写真は神奈中本体時代の撮影です。

2011.1.13
さ82 さ82」です。麻溝車庫が開設される以前の写真で峡の原車庫時代のものです。後の「た40→せ121」です。

2011.1.13
ま13 ま13」です。廃車までに殆どの車が青緑系の座席シートへ交換されていました。撮影 表会長様

2011.1.13
せ94 せ94」です。2004年2月に多摩から転入した車で、新製当初は相模原に在籍していました(元さ75)。

2011.1.13
あ129や33 小田急線運休の際に見られた代行バス輸送の様子で「あ129、や33」です。やはり専用のLED表示を出したほうが行列の人々にも判断しやすいようです。

2023.3.5
ま016 U-MP218M改 エアロスターM MBM三菱自動車バス製造 ま016 U-MP218M改 エアロスターM MBM三菱自動車バス製造 ま016 U-MP218M改 エアロスターM MBM三菱自動車バス製造 ま016 U-MP218M改 エアロスターM MBM三菱自動車バス製造
1994年9月投入のU-MP218M改(ま016)です。
U-代のエアロスターMとしては最終増備のグループです。下期の町田は10台が導入されました。
写真の車は「ま16」号車として登録され2006年3月に当時の相模神奈交バスへ管理委託され「ま016」となり、2007年8月まで在籍しました。撮影 tm様



1996年上期

ま5リア 1996年上期のKC-MP617M改(ま5)です。町田に1台が在籍しドアは前中共にグライドスライド式のドアが採用され、車いすリフトは中ドアに設置されています。ニーリング機構は付いておらず、前ドアには新ステップが付いています。塗装はホワイトを基調に2種のグリーンの水玉模様が入っています。晩年は町39系統・町田バスセンター〜市立室内プール経由〜野津田車庫線で固定運用されていましたが、以前は他路線で使われるケースも見られました。フロント撮影 it様

2011.1.13
ま5 KC-MP617M改(ま5)で、町田に1台のみが在籍したエアサスのリフトバスです。これも稀少な1台でした。撮影 Yu131様


よ10 1996年上期のKC-MP237M改(よ10)です。相模原と同時に投入された低公害車MBECSの2世代目です。撮影 Yu131様

KC-MP237M改リア低公害マーク 1996年上期のKC-MP237M改(さ38→さ0173)で蓄圧式ハイブリッドバスMBECS-II(エムベックス)です。相模原と横浜に各1台が在籍した低公害車で、外観はMP217と同じですが低公害車を表すステッカーが貼られていますので見分けがつきます。油圧ポンプの回転音がし走行中はエンジン音と共に「ウーン」という独特のサウンドがしました。

2007.12.28
さ0173さ0173 1996年上期のKC-MP237M改(さ0173)です。ハイブリッドバスのMBECS-IIで、「よ10」と共に投入され2台のみが在籍した型式です。新製当初の社番は「さ38」でした。

2011.1.13
よ10 KC-MP237M改(よ10)で、蓄圧式ハイブリッドバスのMBECS-IIです。横浜と相模原に各1台ずつが在籍した稀少型式です。撮影 Yu131様


あ109あ201 1996年式のKC-MP217M改(あ109・201)です。この型式はこの年のみに導入され、MP217/617系自体が1年足らずの生産でしたので全国的に見ても数少ない型式です。エンジンはそれまでの6D22から6D24型へと変更され、11kwアップの177kWとなりました。
外観ではマーカーランプが廃止され、屋根上にあるラインクロスファン(四角い箱)が2つ減り計3つとなりました。窓ガラスは青緑に輝き、ヘッドライトも僅かに厚く大きくなりました。リアではランプが大型化されています。また、内装では座席にシートベルトが設置されているのも特徴です。

ま27 1996年上期のKC-MP217M改(ま27)です。この代の町田は4台の同型と、リフトバス「ま5」MP617が導入されました。撮影 綾瀬師匠様

お095 1996年上期のKC-MP217M改(お095)です。2003年3月に横浜神奈交バスへ管理委託された車です。東戸塚駅での記録で東08 横浜パークタウン線運用時です。撮影 綾瀬師匠様

と167と167 1996年上期のKC-MP217M改(と111・と167)です。下期の戸塚車は5台が投入されました。2枚目は戸58 立場ターミナル線運用時の姿です。撮影 綾瀬師匠様

2007.11.4
お019 と34
1996年上/下期のKC-MP217M改(元お019・と34)です。教習車としてそれぞれ用途変更されたMP217で、撤去されたLED表示部は紙で代用されています。

2007.10.25
つ06 1996年上期のKC-MP217M改(つ06)です。津久井のMP217は僅か1台のみの存在で、2005年1月に町田から転入した車です(元ま28→ま028)。三ヶ木に在籍しましたが津久井の在籍期間は短く、2007年10月には再転出しています。
写真はその転出直前の姿でLED等ワンマン機器が撤去された状態で三ヶ木に置かれていたときの姿になります。撮影 綾瀬師匠様

2008.2.26
よ10教習車-MP217 1996年上期のKC-MP217M改(教4)です。伊勢原の教習車は社番変更や再LED化、音声合成装置の取付など細かい仕様変更が見られ、最終的には2007年12月に白ナンバーとなりました。右はその教習車であるMP217の並びです。撮影 Yu131様

2008.5.20
旧・教4 1996年上期のKC-MP217M改(旧・教4)です。伊勢原で教習車として使用されていた車ですが2008年4月に廃車となりました。その後、舞岡へ移り構内専用の教習車となり、社番は「教」の文字が残されています。LEDやワンマン機器は撤去されていますが、社紋や社名も残されています。撮影 快特 弘明寺様

2008.10.3
い34 1996年上期のKC-MP217M改(い34)です。この代は17台のみの少ない在籍数でした。写真の車は元町田車です。

2010.8.10
せ1 1996年上期のKC-MP217M改(せ1)です。元々数の少なかったMP217ですが、綾瀬は写真の車と、せ102の2台のみが在籍し、いずれも2006年に他所からの転属で、綾瀬では2年半ほどの活躍でした。撮影 KHK1529様

せ102せ102 1996年上期のKC-MP217M改(せ102)です。2006年9月に伊勢原から転入した車です。新製当初は町田に在籍していました(元ま27→は77→い60)。撮影 綾瀬師匠様

2011.1.13
と111 1996年上期のKC-MP217M改(と111)です。1995年はエアロスターが投入されておらず、1994年下期以来、1年半振りの投入となりました。撮影 Yu131様

2011.1.13
お095 雪が吹雪く中、東01系統にて走る「お095」です。撮影 快速弘明寺様

2011.1.13
あ0109 あ0109」です。この代のMP217は全体で17台しか入らなかったため、MP217が最後まで在籍しない営業所が見られました。

2011.1.13
つ06 伊勢原の教習車「教4」です。2007年10月に津久井から転入して間もない頃の姿で、行先表示部は紙で対応し社番は津久井のままでした。後にLED化、白ナンバー化されワンマン機器も設置されました。

2023.9.10
ま5 三菱KC-MP217M改 エアロスターM MBM 町39 町田バスセンター→市立室内プール経由→野津田車庫行 1996年3月投入のKC-MP617M改(ま5)です。
町田営業所に1台のみが導入されていたリフト付バスです。当時の神奈中のリフト付バスは1994年、1995年に伊勢原へ入ったUA440、UA460が導入済みでしたが、三菱ふそうでは初めての導入となり、オリジナル塗装が採用されました。
エアサス仕様、ドアはグライドスライド式、リフトは中ドアに、前ドアは新ステップも装備していました。LED表示化改造は2006年に実施、2009年2月まで在籍しました。撮影 ムッチー様



1996年下期 2009年8月全廃

2003.2.4
あ51 1996年下期のKC-MP217M改(あ51)です。2002年末からLED化された厚木車です。この年式は2002年中にシートモケットが新車同様の物へ交換されている営業所が多かったです。

ま130 1996年下期のKC-MP217M改(ま27)です。上期に続き、下期の町田は9月に5台が配属された型式です。撮影 綾瀬師匠様

は78 1996年下期のKC-MP217M改(は78)です。2004年2月に町田営業所から転入した1台です(元ま32)。この月に同型3台が転入し、秦野でのMP217は初お目見えとなったのですが、3台共にいずれも2005年12月までに再び転出してしまい型式消滅しています。撮影 Fujishima様

お0176 1996年下期のKC-MP217M改(お0176)です。2001年12月に横浜営業所から転入した1台です(元よ82)。懐かしい緑の「ワンマン灯」が設置されています。撮影 綾瀬師匠様

2007.3.18
お082 1996年下期のKC-MP217M改(お082)です。40台程の在籍となっていた型式ですが、舞岡には11台が配属されており全車が横浜神奈交へ管理委託されました。また、横浜神奈交にも2台在籍しました(YK1108、YK1109)。撮影 Yu131様

2007.4.10
あ201 1996年下期のKC-MP217M改(あ201)です。新人運転士さんの教習用として平塚車と共に舞岡に貸出されていた時の様子です。撮影 横浜平島様

2007.4.10
あ64 1996年下期のKC-MP217M改(あ64)です。こちらは伊勢原の工業団地内を走る教習シーンで、伊勢原車庫周辺での教習も比較的多く見ることができ、津久井や藤沢車の姿も見られました。

2007.11.24
と34と34 1996年下期のKC-MP217M改(元と34)です。教習車として使用されているエアロスターMですが、最近になってLED表示機が設置され音声合成装置が取り付けられた車も見られます。

2008.10.3
い7 1996年下期のKC-MP217M改(い7)は25台が在籍し、上期車と特に差異はないようです。この型式自体が数少ないので、配属されなかった営業所も幾つかみられました。撮影 綾瀬師匠様

2009.3.26
い98い98 1996年下期のKC-MP217M改(い98)です。伊勢原には2台が残ったエアロスターMで、写真の車は2004年2月に町田から移ってきた車です。古参ながら大変美しい車体を維持しています。撮影 快速準急様

2009.3.26
ま056 1996年下期のKC-MP217M改(ま056)です。町田は5台が配属されていましたが、写真の車以外は全て転出しており、町田に残った唯一のMP217でした。撮影 町田なるせ様

2011.1.13
よ4 1996年下期のKC-MP217M改(よ4)です。写真の車は後に舞岡へ転属しています。撮影 Yu131様

2011.1.13
お082 お082」です。この代のMP217も全体で25台と少なめの投入となりました。

2011.1.13
い98い98 い98」です。2004年2月に町田から転入した車です(元ま133)。この車の艶は半端ではなかったです。撮影 Yu131様

2011.1.13
教3い35、い34 左は伊勢原の教習車「教3」です。2007年10月の戸塚から転入しました(元と34)。白ナンバーも現在は運転訓練車のみのため貴重でした。
並びの写真は左の「い35」がU-MP218M改、「い34」がKC-MP217M改です。

2011.1.13
あ058あ58あ58 あ058」です。かなちゅうロゴのLED表示も懐かしくなってしまいました。




2009.4.22
よ17 1996年下期のKC-MP217M改(よ17)で、横浜営業所には2台が在籍したエアロスターMです。撮影 s-y-b-s 鈴木様

2009.7.14
い7 1996年下期のKC-MP217M改(い7)で、写真は貸切使用時の様子です。撮影 渋木様

2009.7.14
い7 こちらも「い7」で、宗教団体の送迎に使用されるときの様子で専用のLED表示も用意されています。撮影 太セン様

2009.7.14
あ064 1996年下期のKC-MP217M改(あ064)です。厚木のこの代は最多の8台が在籍していました。

2009.7.17
ま056 1996年下期のKC-MP217M改(ま056)で、MP35ノンステップ新車の投入に伴い、運用を離脱しました。撮影 表会長様

2019.12.31
お82 1996年下期のKC-MP217M改(お82)です。
1999年8月に撮影された写真で、現在は戸塚営業所が担当している戸17系統 戸塚駅東口〜湘南泉病院〜三ツ境駅線運用時の様子です。この1ヵ月後に舞岡から運用が移管されました。
写真の車は2005年2月に横浜神奈交バスへ管理委託され(お082)、2009年4月まで在籍しました。撮影 菅井隆行様

2019.12.31
教3 1996年下期のKC-MP217M改(教3)です。
晩年は伊勢原営業所の教習車として過ごしたエアロスターMです。2007年10月に戸塚から転入したのですが(元と34)、写真は転入直後の姿で、社番シールはまだ無く、行先表示も紙が貼り付けらたのみの教習車最初期の姿になります。その後、LEDを装着し白ナンバー化され2009年7月まで在籍。
今夏でMP217が全廃からちょうど10年が経過しました。

2020.8.28
と12 1996年下期のKC-MP217M改(と12)です。
6d24型エンジンを搭載する乗合登録のMP217はこの年式のみが存在しましたが、戸塚は4月と9月にそれぞれ5台ずつが導入されました。写真の車は2001年に舞岡へ転出した後、横浜神奈交バスのYK1109号車として2008年まで在籍しました。
写真はかつて営業が行われていた遊園地、横浜ドリームランドでの記録になります。2002年に閉園しバス停も2009年には俣野公園・横浜薬大前へと改称されています。撮影 運天使様

2021.4.11
お082 1996年下期のKC-MP217M改(お082)です。
戸塚駅近くの矢部町バス停付近をゆく舞岡のエアロスターMです。2005年の記録で、当時の横浜神奈交バスへ管理委託されて間もない頃のものです。
まだビル群も建設される前ですのでバスセンター側の戸塚郵便局等の建物が見え、後方に見えるエアロスターKは翌年に引退した1992年上期の「お0162」です。撮影 キムりん様

2022.11.6
よ34 KC-MP217M改 エアロスターM 船18大船駅→本郷台駅行 1996年9月投入のKC-MP217M改(よ34)です。
神奈中では1996年式のみが在籍するMP217で、横浜営業所も6台のみの在籍でその後の他所への転出もあり最終的には2台のみとなりました。エアロスターMでも最終増備となったグループです。
写真は大船駅を出発する船18系統の本郷台駅行です。同系統は2003年9月1日改正で廃止になっています。撮影 Yu131様